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山崎努著 メディアファクトリー 2000年3月初版
これは、山崎努さんの1998年1月17日~2月3日の「リア王」新国立劇場開場記念公演の準備から終演まで、1997年7月14日から、1998年2月3日千秋楽までの日記形式のノートである。 とにかく、すさまじい。俳優さんは、舞台に立つのにこんなに努力し、研鑽しているのか、ということが分かる。私は、小学校の学芸会以後は、演劇をしたこともないし、新劇の舞台も観ていない。また、シェークスピアの戯曲も満足に読んでいない。この本に対して感想を書くのはおこがましい。ただ、この本を読んで次のことが浮かんだので、そのことだけ書いておくことにする。 謙さんも三船さんも山崎努さんのアッシーくんだった 1997年8月15日の項に山崎さんが、友人のテレンス・ナップさんのとこへ行くのに謙さんの車で送り迎えされていることが書かれている。もっとも、テリーさんとの会食に謙さんも加わったのだろうから、「謙」と気安く呼ばれている筆致から、運転手代わりというわけでもないのだろうが、先輩・後輩(あるいは師弟)の関係から、もっと以前にはこれ以外でもアッシーくんをしていたのだろうかと想像してしまった。 一方、1997年12月25日の項では、三船敏郎さんの訃報に接して、「天国と地獄」の撮影時、砧の撮影所から成城駅まで、三船さん運転の愛車赤いMGでよく送っていただいたとの記述がある。 つまり、渡辺謙さんと三船敏郎さんは、ともに山崎努さんのアッシーであったのだ。 「武士道」にも「リア王」が出てきたんだった 訳者松岡和子さんのレクチャーのとこで、第1幕第1場の「ケント」の名前が出てくるので、以前にかず4さんのとこに「ラストサムライ」の感想投稿を書いたときに、新渡戸稲造の「武士道」から、諌死について記述していたと思われると下記を引用したことを思い出した。 -臣下がもし、主君と意見が異なる場合には、彼のとるべき忠義の道は(シェークスピアの)リア王に仕えたケントのように、あらゆる手段を尽くして主君の非を正すことであった。もしそれが受け入れられないときは、主君の欲するままに自分を処置させた。このような場合になったときは、自らの血を流し、それによって自分の言葉の誠実をあらわし、主君の明智と良心に対し、最後の訴えをするのは、武士の常としたことであった。-講談社バイリンガル・ブックス 須知徳平訳 ケントは諫死したわけでもないし、新渡戸は欧米の読者に分かりやすく説明するためにシェークスピアから引き合いに出したのだろうが、二君に仕えずとは、シェークスピアの時代にも武士道に通じるものがあったのかな。 それにしても、リアの狂気、絶望。松岡和子訳のも読んでないが、老いと死は、どんな人間にも訪れてくる。今のうちに、楽しまずんば如何せんというところか。(シェークスピアを全然理解していない造酒)
by miki-hirate
| 2005-04-20 22:44
| 本の感想
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