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数ある硫黄島の戦いの関連本の中でも梯久美子さんの『散るぞ悲しき』は、栗林忠道中将その人に新たな光を当て、現代に生きる人の感性で書かれていて多くの人が共鳴している好著と言えるだろう。私も感動した一人である。
その梯久美子さんが、『文藝春秋2月号』に上記タイトルの記事を寄稿されている。表紙では、<検証>の文字が抜けているので、梯さんが衝撃的な栗林中将の最期を発表されるのかとの誤解を与えてしまうかもしれない。 内容は、私が「栗林中将の最期」として書きつつあった、SAPIO2006年10月25日号に掲載された、大野芳氏の『栗林中将の「死の真相」異聞』という記事に対する検証という内容である。 栗林中将の本当の最期は『散るぞ悲しき』と違うのかとの読者からの手紙も寄せられたようで、真摯に答えられた梯さんには敬服する次第である。ことに防衛庁、自衛隊関係者の方々に取材された内容は、新鮮で興味深い内容であった。また、大山純軍曹の手紙・栗林太郎氏のメモなど新資料(だと思う)も紹介されている。 しかし、検証の内容については、大いに異論もある。 第一に、前の記事に書いたように、栗林中将の最期について3つの生の資料そのものを示さずに再構成されてしまっているので、どこの部分がどの資料に拠るものか分からないことである。 次に、全文が分からないから余計にこちらが感じてしまうのかもしれないが、大山軍曹の手紙について過大に評価し過ぎではないかということである。これは終戦後すぐ栗林中将のご遺族宛てに書かれた手紙である。こんなことは梯さんは百も承知だろうが、あの戦争では、戦死者の戦友が遺族に戦友の最期を語るため、遺族を訪れることが各地で多くあったことだろう。硫黄島に限ったことではないが、戦死者といっても、戦病死や、自殺、事故死、さらには捕虜になろうとして上官に殺された方も多くあった。仮に、捕虜になろうとして上官に殺された戦死者の母に戦友がその最期を語るときに、「あなたの息子さんは、捕虜になろうとして壕を出て行って上官に射殺されました。」というような報告をするだろうか? きっと「息子さんは真っ先かけて突進したため、敵弾に倒れられました。勇敢な最期でした。」というように美しく飾って報告するに違いない。このようなことは、昭和21年には、復員者によって全国各地で行われていたに違いない。大山軍曹の手紙も、この遺族への報告なのである。そこには、事実とは違う、或いは死を美化した報告があるかもしれないと、思うからである。 さて、記事の本旨であろう堀江氏の口述に対する梯氏の検証について、私なりの感想なり異論なりを簡単に書いておきたい。 ●「硫黄島作戦について」は、『戦史叢書』の巻末に記載されている資料一覧にその名があることから、その存在は事実であろうとは思っていたが、平成15年に室外秘を外されていたとは意外であった。ただし、地方に居る者にとっては、閲覧するのはなかなか難しい。 ●表紙に小元少佐述とあるのに、SAPIOでは紹介されていなかった小元少佐の口述証言が存在したようだ。堀江氏陳述の全面否定といっても、引用されている文を見る限り、否定されているのはノイローゼと降伏交渉であって、斬殺については、否定されていないともとれる。小元少佐の否定は予想できたことである。私が思うには、少なくとも栗林中将の最期が他殺である伝聞を小元氏が堀江氏に語ったことは事実であって、そのときに派生的な話しとして投降などの話題も出たものだと想う。堀江氏はその時の自分の受け取った感触として記憶の残っていたことを戦史室に証言した。ところが、小元氏はそれは内輪の話しであってまさか堀江氏が証言するとは思わなかった。小元氏は、伝聞のうち確かに書簡とて残っている小田曹長の手紙を示した、というようなことではないかと思う。 私には、堀江氏は辛らつで直截的な物言いをされるが、おっちょこちょいというか軽々しい側面があると感じる。こんな証言をするなら、事前に小元氏に確認をしておくべきだろう。堀江氏としては確かに小元氏に聞いたと思っていた話しを小元氏に否定されたことで、何かすかされたような気持ちが残ったのではないか思う。それが後々の発言につながっていくのではないだろうか。 小元氏の提示した昭和27年2月2日の毎日新聞記事は興味深い。小田曹長がこれに触発されて、というのは当っているのだろうが、堀江氏についてはどうなのだろう。確かに堀江氏陳述、(ことに平成元年『丸』別冊の末尾記述)と酷似した話しだとは思う。 ●「射殺」とは「他殺」と解するべきだというのは、以前の記事の末尾の補足で書いた。 ●福重博という方は、確かに『戦史叢書』の執筆者二人のうちの一人のようだ。ご存命で、しかも取材に応じられることができるとは驚きであった。 ●堀江氏が、平成元年に自衛隊富士学校で、丸別冊とほぼ同時期に同内容の講演をされたとのことだ。講演の方がさきだったのだろうか? だとすれば、丸別冊の方は、堀江氏自ら筆を執ったものではなく、記者の聞き取りによるものかもしれないと思った。丸別冊の方は、日付の相違等余りにも過去の堀江氏の記述と食い違いが多いからだ。 ●平成元年に再びこういう中根参謀による斬首という発言をしたのは、『オリンポスの使徒』が、昭和59年に出版されたのと無関係ではないと思う。『オリンポスの使徒』には、今回のSAPIO記事に掲載されたのと類似した堀江氏の見解が載せられ、確か「米軍側の資料で見たことがある気がする」といった言葉が堀江氏の言葉として紹介されていたと思う。それが、堀江氏の言葉か、大野氏がつくろって書いた言葉かは分からないが、堀江氏としては、図らずも公に出てしまった事実を、その『オリンポスの使徒』の記述に合わせて、出所を「米参謀本部からの通信」だとして、ご自分の信ずるところを、自衛隊幹部には伝えておきたかったのではないだろうか。 ●堀江氏の杉田氏に問い詰められての「中根参謀による緊急電話」発言は、本音に近いものが出たようにも思える。人間は、隠しておきたい事実は、よほど問い詰められなければ、なかなか明かそうとしないと思う。 『散るぞ悲しき』の冒頭に登場するあの貞岡氏は、父島で硫黄島の栗林中将と電話で話しされたと語られていたようだから、硫黄島の戦いが始まるまでは、父島と硫黄島間の電話は存在した。戦闘で破壊されたということだろうか? そうならば、私は技術的なことはよく分からないが、緊急電話といっても電報というか無線電信による電文のやりとりではなかったのか。堀江氏としては、「電報」と答えれば証拠が求められるので、「緊急電話」と答えたのではないだろうか。 ●「栗林将軍には指揮官の資質に問題があったとする見解まで現れている」と白井氏が述べられているのは、あるいは武市銀治郎氏のことを指しているのかとも勝手に思ったりした。ああ、梯氏は、武市氏への取材もされていないのか、と思った。文筆家同士でいわばライバルからの取材は難しいのだろうか。素人の私にはよく分からないが・・・。 以上、私の想像も含めて書いてみた。「栗林最期の数時間」として梯氏が再構成されたところで、3月27日に栗林中将が階級章を外した、とされているところ等、もう少し突っ込んで検討してみたい事項もあるのだが、私が読んだ硫黄島関連本は借りて読んだ本が多いのでほとんどが手元にない。最近は古い出版の本も人気があるので、これ以上調べるのは時間がかかりそうだ。ここらへんで留めておくことにしたい。 それでは、お前の考える栗林中将の最期、死の真相はどうなんだ、と言われそうな気もするが、一つの仮説らしきものは浮かんでいるのだが、今回の梯氏の取材で明らかになったこと(ことに「中根参謀からの緊急電話」、「昭和27年2月2日の毎日新聞記事」)も含めて今一度考えてみたいと思っている。 最後に、SAPIOの記事を検証されるのなら、唯一の目撃者であったのかもしれない小田曹長への電話での大野芳氏の確認取材について調べようとしないのは片落ちである。今回、梯氏がそれに全く言及されていないのは、近々に大野芳氏の側での寄稿なり、出版なりが予定されているのかとも思うが、確か『オリンポスの使徒』の取材協力者には、堀江氏、小元氏の名もあったはずだし、大野氏の反論も期待したいところである。あわせて西大佐の評伝『オリンポスの使徒』もぜひ文庫本ででも再版してもらいたいと思う。 硫黄島の戦いの全体からすると、ちっぽけなものかもしれないが、栗林中将の最期の真実を探るのは、今日的な意味があると私は思っている。 以上で、SAPIO10月25日号の大野芳氏の記事から始まった私の栗林中将の最期についての本の感想をひとまず終えることにします。 何せ、栗林中将や硫黄島の戦いについては、ほとんど知らなかった者がにわか勉強で、感想を書いてきました。故人や存命の関係者の方々に無礼の段あればお詫び申し上げます。 玉斧を乞う 次第です。
by miki-hirate
| 2007-01-16 22:03
| 本の感想
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