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「硫黄島からの手紙」の感想とあれば、栗林中将演じる渡辺謙さんの演技についても書いておかなくてはならない。
この映画は栗林中将その人を主題とした映画ではないし、事実そのものを描く映画ではない。この(日本映画ではない)ハリウッド映画のスクリプトの中での硫黄島の戦いの指揮官として、渡辺謙はその役割を充分な演技力と貫禄をもって演じられているといえるだろう。しかし、私は予告編を見たときから果たして謙さん大丈夫だろうかとの思いを抱いた。それは本編では映画の流れの中ではそれほどには感じられなかったとはいえ、やはりその思いは消えなかった。 まずは硫黄島赴任の場面、西郷が穴掘りをしながら、見上げた硫黄島の上空にブーンと音を立てて飛行機が1機やってくる。その飛行機は、島丘をかすめて飛行場に着陸する。このシーンは戦場の中での流れる絵のようで、何とはない期待感を高める。ところが、そこから降り立った栗林中将の軍服には、こんな場面ではつけられるはずのない勲章が飾られている。多分このシーンでは勲章をつけていることで、最後の出撃のシーンで階級を表わすものを全部捨てているということをより視覚的に分かりやすくため、また、この人が硫黄島の司令官ですよ、こんなに勲章をもらっている偉い将軍ですよ、と分からせるため、の演出上の工夫かもしれない。しかし、私はこれではこの指揮官は勲章好きのちょっと変わった人物だというような印象を抱かせてしまうように思う。ここは、勲章がなくても、渡辺謙という俳優の顔でそんなことは、一目瞭然じゃないのかな、それとも、まだまだ渡辺謙の顔は世界で認知されていないのだろうか? これは一俳優の責任ではないのかもしれないが、もはや映画全体への目配りも必要となっていく立場となる謙さんに向けてあえて書いておく。 次に、兵を痛めつけている士官を諌めるシーンが、何か話し方かフランク過ぎる違和感があった。多分もともとの脚本が英語で、それを日本語に訳したときにこういう台詞にしたんだろう。もう少し軍隊調の話し方の方が現実感はあると思う。 その次の「我々が守る1日には、意味があるんです。」と、(大須賀少将じゃなかった)オオスギ少将に激昂するところ、栗林中将が無能な将校に峻烈であり、いわゆる温厚篤実タイプの将校は特につらかったようだから、こういう調子の喋り方もありだとは思うが、いかにもヒステリック過ぎる気がする。何か「明日の記憶」の主人公とダブッてしまう。 以上のようなことは、元が英語の脚本であって、日本人だけでなく世界へ向けた映画として、ややオーバーアクションの方が観客に分かり易いという意味があるのだろうが、少なくとも私が抱いていた栗林中将のイメージから遠かった。 なぜか栗林中将の最期のシーンは良かった。ここは、日米をつなぐエピソードの元となる(事実としてはあり得ない)小道具から西部劇を連想させ、渡辺謙も今までの必要以上に肩に力が入ったような演技に感じられたのが、肩の力がスーッと抜けたように思え、謙さんらしさといったものが出た自然な演技に感じた。 クリント・イーストウッド監督は、渡辺謙さんについて、「ミフネの後継だ」とかという言葉で褒められていたという。三船敏郎は、渡辺謙の偉大さを表わすのに海外の方がよく引き合いに出されるが、他ならぬクリント・イーストウッドが語るとなると、ちょっとニュアンスが違ってくる。というのも、ご存じのように俳優クリント・イーストウッドが世界に飛躍したのは、黒澤明監督の「用心棒」の盗作ともいえるマカロニウエスタン「荒野の用心棒」で、三船敏郎が演じた用心棒の役柄のガンマンを演じたからである。クリントは三船敏郎や黒澤明に尊敬の念をもつと同時に、その日本映画の盗作というかたちでの映画の成功や自分自身の栄達について、ある種の面映さもあっただろうし恩義といったものも感じていたはずだ。今回、「父親たちの星条旗」を撮るのに合わせて、この「硫黄島からの手紙」を制作したのは、日本映画に対する恩返しといった意味合いも含まれていると思う。黒澤監督がお元気なら監督を頼んだろうし、三船さんが活躍していた頃なら栗林中将を演じてもらいたかったろう。ゴールデングローブ賞の授賞式でも謙さんを称えられていたと聞くが、そのイーストウッド監督が謙さんを三船さんになぞらえるのは、日本映画に対してのイーストウッド監督の敬意でもあろう。もっとも、別におべんちゃらではなく、映画の制作面やプロモートをも含めた渡辺謙への正当な評価ともいうべきだろうか。 しかし、最近の本作と「明日の記憶」を観て、そして、ついちらちらと眺めてしまった日曜洋画劇場の「ラストサムライ」とを比べて思うのだが、やはり「ラストサムライ」での演技が、役柄が嵌ったということはあるにせよ、断然良い。三船敏郎は、黒沢明監督の映画ではその力を発揮したが、他の監督の時はいま一つ精彩がなかったと思う。というところで、ズゥィック監督ってどうしてるんだろうと思ってたら、レオナルド・ディカプリオがアカデミー主演男優賞にノミネートされた『Blood Diamond/ブラッド・ダイヤモンド』の監督をされているようだ。この監督での謙さんをもう一作を観たい気がしている。 謙さんは悪い意味で三船さんに似てきているのではないかということを危惧する。丹波哲郎さんではないが、晩年にはどんな映画に出演してもミフネはミフネであったように、渡辺謙は渡辺謙だ。もはや謙さんがそういう域かというと、私はまだまだというより、もっと柔軟性がある俳優さんだと思っているから言うのだが。 謙さんはこのところ「明日の記憶」の初主演で、キネマ旬報をはじめ国内の主演男優賞を総なめだが、これは渡辺謙という俳優の真価が認められたことで、大変喜ばしいことではある。しかし、これは「明日の記憶」の演技が素晴らしかったというより、外国映画である「ラストサムライ」の素晴らしい演技によって、主演俳優格としての地位を高めたことに対する評価である、と私には思える。一層の精進を期待する次第である。 つい、私は「坂の上の雲」に紹介されていた、秋山真之参謀の手になる連合艦隊解散の辞の最後の一節を想い起こす。 ─「・・・古人曰く、勝ってカブトの緒をしめよ、と」
by miki-hirate
| 2007-02-10 16:51
| 硫黄島からの手紙
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